頭痛い、について
頭痛い、という時に、本当に頭が痛い人って、どれくらいいるのだろうか。
疲れた、という時に、本当に疲れている人って、どれくらいいるのだろうか。
口に出す感情と、実際にその人が認識している感情と、その人が認識していない、本当の状態と。
どれをもってその人として、自分を見つめるか、また相手に関わるかは、むずかしい。
コツコツタイプと血みどろタイプ
学習の仕方には二種類あると思っていて、コツコツ積み上げていく勉強法の人と、ギリギリになってから集中力を上げて何としてでも、という感じでなんとかする人。
ギリギリでやる方法は、達成感はあるのだけれど、(そしてできればその方がいいのだろうけれど)あんまりうまくいった試しがない。また、両者は分かれているのではなく、当然いざという時に頑張れる人は、普段から頑張っている人なのだろう。どちらか、なんて安易なものではないのだ。
ごちゃごちゃ言わずにやります。はい。
やり始めに感じるおっくうさについて
自分は、かなり切り替えが苦手な方だと自認している。やり始めたらやる気が出るのだけれど、それまでが大変だ。
やっぱり、声に出したりしてやるのがいいのかな。また、文字にして書くことで、切り替えに四苦八苦している自分を客観視するのも、冷静になって、先へ進むためへの方法の一つかもしれない。
自分の場合、どれだけ勉強したかとか、集中している時間帯のことは覚えているけれども、例えば(本人の意にそわず)集中できていない、あるいは効率よくできていない時の記憶って、(都合よくも)忘れがちになっているとおもふ。
先は長い。ひとつ、ひとつ。くさらず、投げず、あせらず、できることをふやしていきたい。つみかさねが大事だと、おもっている。
なっとく!アルゴリズムを読んで マージソートとクイックソート
最悪なケース、と平均的なケース、とは、それぞれいかなるものか?
思い上がりについて2
我々がここで「思い上がった」と言う表現で呼ぶものにとっての条件は常に、現存在がある特定の「経験」の中に「嵌まり込んで」しまっていること、
現存在がその「テントを畳むこと」がもはやできず、「出発すること」がもはやできないと言うこと、にある。(同書より)
宮本忠雄著 『思い上がり、ひねくれ、わざとらしさ』を読んで:思い上がり
思い上がりとは、高く登ることと遠くへ歩むことの、ある特定の不釣り合いに基づいている。(同書より)